しゃーぷ
● 経営史年表
- 1912(明治45)年5月3日
早川 徳次(シャープ) 18歳 「いたずら小僧」という活動写真を見ていた時、映った人物の洋服のバンドがペラペラ長く垂れていることが気にかかり、ベルトに穴を開けずに使えるバックルのアイデアを考えるように、『徳尾錠』を発明、これが早川徳次の特許第1号となる - 1912(大正元)年9月15日
早川 徳次(シャープ) 18歳 『徳尾錠』 の注文を30グロス(4,000個超)受け、独立を決意
東京本所(現・江東区)にて資本金50円たらずのうち40円までを借金で賄い苦難の独立
6畳1間に土間だけの借家で寝食忘れて仕事に取り組む - 1915(大正4)年
早川 徳次(シャープ) 21-22歳 繰り出し鉛筆の金具の注文を受けたことをきっかけに、従来のおもちゃのような代物ではなく、万年筆なみの実用品に仕上げてやろうと決意、『早川式繰出鉛筆(後にシャープペンシル)』を発明、特許を取得 - 1915(大正4)年
早川 徳次(シャープ) 21-22歳 兄・早川政治と共に早川兄弟商会金属文具製造所 設立、当初は売り込みに苦労するも、海外販路が拓けたのをきっかけに日本でも販路拡大 - 1923(大正12)年9月1日
早川 徳次(シャープ) 29歳 関東大震災で家族を失い、自身も急死に一生を得る事態に、工場はすべて潰れ、一瞬にして事業を失う
「震災がなければおそらくシャープペンシル製造に生涯をかけて金属文具界で終始し、電気器具メーカーとして大阪に住むこともなかったと思われる」 - 1923(大正12)年12月
早川 徳次(シャープ) 30歳 以前に日本文具製造会社と契約をしていた販売契約金の即時返済を要求されるも資金難により返済できず、債務履行に代えて所有する機械類の譲渡とペンシル特許の無償貸与を口頭にて約束
あわせてペンシル事業継続のために早川兄弟商会の技術者を日本文具製造会社に派遣、自身も技術責任者として指導にあたることに、日本文具製造会社に雇用される、大阪に移住 - 1924(大正13)年8月
早川 徳次(シャープ) 30歳 日本文具製造会社 退社 - 1924(大正13)年9月1日
早川 徳次(シャープ) 30歳 かつての従業員と共に、早川金属工業研究所(後にシャープ) 設立、シャープペンシルの製造ができないため、金属細工の仕事をはじめる - 1925(大正14)年4月
早川 徳次(シャープ) 31歳 アメリカからラジオ機械が2台だけ輸入された現場に居合わせたのを幸いに、鉱石ラジオを購入
「事業はつねに新しいアイデアで他より一歩先にと新分野を開拓していかなければ、とうてい成功は望めない」という信念の下、未知なる機械に没頭、セットの分解研究を行い、手探りで国産第1号機の鉱石ラジオの開発に成功、「シャープ」と銘打ち販売、ラジオは生産が追いつかないほどに売れ、いつしかラジオ専門の工場となる - 1928(昭和3)年12月24日
早川 徳次(シャープ) 35歳 突然、日本文具製造会社の訴訟によって工場差し押さえとなる、先に日本文具製造会社と口頭で約束をした債務履行を反故にされ、横やりを入れられた形に、窮地に立たされる - 1935(昭和10)年5月1日
早川 徳次(シャープ) 41歳 早川金属工業研究所(後にシャープ) 株式会社へ法人化 - 1949(昭和24)年
早川 徳次(シャープ) 55歳 早川電機工業(後にシャープ)大阪証券取引所に株式上場を果たす - 1950(昭和25)年
早川 徳次(シャープ) 56-57歳 ドッジ不況の煽りを受け、倒産寸前の危機に、銀行から過剰人員の削減を条件とした融資策を出されるが、「人員の整理をやるくらいなら、むしろ会社が閉ざされる方を選ぶ」という心境に
ところが、自主的に人員削減に協力する機運が社員の中から生まれ、捨て身の行為によって会社を救われる
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シャープ株式会社 http://www.sharp.co.jp/