みしま かいうん
1878(明治11)年7月2日~1974(昭和49)年12月28日 大阪府出身
西本願寺文学寮(後に龍谷大学)卒業
カルピス創業者
● 経営史年表
- 1878(明治11)年7月2日
大阪府豊能郡萱野村字稲に、西本願寺派教学寺13世住職・法城と雪枝の長男として生まれる - 幼少期
病弱で、また強度のどもりのために、ほとんど話ができず
母・雪枝は目に涙を浮かべながらも、近くの河原で大声で話す練習をするなど、優しく粘り強く「話すこと」を教える
努力が実り、5歳を過ぎた頃にやっと人並みに話せるようになる - 青年期
漢学者・太田北山が開校した漢学塾弘深館に学ぶ - 青年期
西本願寺文学寮(後に龍谷大学)を志し、予備校の反省会(雑誌『反省会』、後に中央公論新社、『中央公論』を出版)に学ぶ - 1893(明治26)年
14-15歳 西本願寺文学寮(後に龍谷大学)に入寮
「朝日新聞に杉村楚人冠あり」と言われたジャーナリストであり日本新聞界の第一人者・杉村楚人冠(本名・杉村広太郎)と出会う - 1899(明治32)年
20-21歳 西本願寺文学寮(後に、龍谷大学) 卒業、教学寺の後を継ぐことを選ばず、開導中学(山口県)の英語教師 就任 - 1901(明治34)年
22-23歳 仏教大学3年に編入学
在学中に前田慧雲(後・竜谷大学学長)の「世間ではね、金銭を得ることはたいへん難しいことのようにいうが、案外たやすいもので。必要な金はどこからか湧いてくるものだ」という講義に感銘を受ける
後年に「事業は金がなければできないが、正しい確たる信念に裏付けられた事業には、必ず金が自然に集まってくる」という理念を得る - 1902(明治35)年2月
23歳 大学より当時の若者たちにとって無限の可能性と夢にあふれた”あこがれの地”であった中国に渡ることをすすめられる、仏教大学を中退、北京に渡り東文学舎 寄宿 - 1903(明治36)年10月
25歳 土倉五郎と北京で雑貨貿易商日華洋行 設立 - 1904(明治37)年
25-26歳 土倉四郎の依頼を受け、軍馬調達のため蒙古に入る - 1908(明治41)年7月
29-30歳 蒙古(現・中華人民共和国内蒙古自治区)克什克騰旗において『乳酸』と出会う - 1909(明治42)年
30-31歳 蒙古・克什克騰旗を再訪、蒙古乳製品の製法を学ぶ - 1909(明治42)年
30-31歳 日華洋行を部下に譲り、大隈重信伯爵のすすめで緬羊の改良に着手 - 1912(大正元)年
33-34歳 清国政府が倒れ、緬羊事業を断念 - 1915(大正4)年
36-37歳 中国における全ての事業を手放し、日本帰国 - 1916(大正5)年4月
37歳 ヨーグルトよりも美味しく、健康で体に良い飲料を多くの人に提供しようと決意、醍醐味合資会社(後に、カルピス) 設立 、『醍醐味』発売 - 1917(大正6)年10月13日
39歳 ラクトー株式会社(後に、カルピス) 設立、取締役 就任 - 1918(大正7)年3月
39歳 生きた乳酸菌入りキャラメルを『ラクトーキャラメル』と名付け、大阪化学工業博覧会・京都博覧会・福岡化学博覧会に出品 - 1918(大正7)年4月17日
39歳 『ラクトーキャラメル』発売 - 1919(大正8)年6月8日
40歳 ラクトー株式会社(後に、カルピス) 専務取締役 就任 - 1919(大正8)年7月7日
41歳 乳酸をベースにした日本最初の乳酸飲料『カルピス』発売 - 1922(大正11)年4月29日
43歳 「初恋の味」のキャッチフレーズを初めて新聞広告に使用 - 1923(大正12)年9月2日
45歳 関東大震災の被災者を慰問、トラック隊により『カルピス』を配る - 1924(大正13)年2月18日
45歳 黒ん坊マークを初めて新聞広告に使用 - 1962(昭和37)年12月
84歳 『国民福利』の理念より全財産を投じ、三島海雲記念財団 設立 - 1974(昭和49)年12月28日
96歳 逝去
● 関連する会社・団体
● 参考文献
70年のあゆみ カルピス食品工業株式会社 社史編纂委員会