よしだ ひでお
1903(明治36)年11月9日~1963(昭和38)年1月27日 福岡県出身 東京帝国大学(後に東京大学)経済学部商業学科卒業
電通社長、東京放送(TBS)設立
広告取引の公正・適正化を推進、日本の広告業界近代化の基礎を固め、「広告屋」と見下されていた広告業界の地位を向上させる
ラジオ・テレビの民間放送実現に尽力、電通躍進の基礎を固め、世界屈指の広告代理業に育てた中興の祖
- 1903(明治36)年11月9日
福岡県小倉市に渡辺勝五郎、サトの二男として生まれる - 1918(大正7)年
14-15歳 吉田一次 の養子となり、渡辺から吉田に改姓 - 1928(昭和3)4月
24歳 東京帝国大学(後に東京大学)経済学部商業学科 卒業、日本電報通信社(後に電通) 入社、営業部地方内勤課 配属 - 1942(昭和16)年6月
37歳 日本電報通信社(後に電通) 取締役就任 - 1942(昭和16)年12月
38歳 日本電報通信社(後に電通) 常務就任 - 1944(昭和19)年
40-41歳 全国186社の広告代理業社を12社に統合・再編する広告代理店企業整備を商工省(後に経済産業省)と共に主導 - 1944(昭和19)年
40-41歳 単価が不明瞭で広告取引の不公正化を招く原因となっていた新聞広告の広告料金を、全国一律の公定価格に改変、商工省(後に経済産業省)と共に主導、広告取引の公正・適正化と広告業界の地位向上を図る - 1947(昭和22)年6月23日
43歳 日本電報通信社(後に電通) 社長就任 - 1947(昭和22)年
43-44歳 民間におけるラジオの商業放送実現に尽力、民衆放送株式会社 設立準備委員長 就任 - 1949(昭和24)年1月
45歳 商業放送の地域免許認可制の動きにあわせ、民衆放送 を 東京放送(後にラジオ東京、東京放送) に改め設立、設立発起人就任 - 1950(昭和25)年5月
46歳 広告代理業社の乱立による広告取引の不公正化を懸念、広告代理業界の団結を図り、日本新聞広告業者協会(後に日本広告業協会) 設立、幹事長就任 - 1951(昭和26)年1月
47歳 東京地区で免許申請をしていた朝日新聞社・毎日新聞社・読売新聞社と 東京放送 の4社を一本化、ラジオ東京(後に東京放送)設立、免許獲得 - 1951(昭和26)年8月
47歳 日本電報通信社(後に電通) の創立51周年を機に、電通の鬼・光永星郎(電通創業者、政治家) の経営理念・想いを色濃く反映した 『鬼十則』 を起草、電通マンの仕事の心得を示す - 1952(昭和27)年10月
48歳 非公開となっていた新聞各社発行部数の公開制度確立に尽力、ABC懇談会(後に日本ABC協会) 設立、広告取引の公正・適正化の第一歩を踏み出す - 1956(昭和31)年5月
52歳 国際広告協会(IAA) 副会長極東地区担当就任、電通 が国際的に広く認められる - 1957(昭和31)年
53-54歳 日本国際広告協会(JAA) 発足、アジア国際広告会議を主導し実現 - 1961(昭和36)年9月
57歳 広告活動の国際化を目指し、海外広告会社との業務提携構想を展開、アメリカ ヤング・アンド・ルビカム との提携実現 - 1963(昭和38)年1月27日
59歳 逝去
参考文献
無から始めた男たち - 20世紀日本の経済人セレクション 日本経済新聞社 2003.5
われ広告の鬼とならん - 電通を世界企業にした男・吉田秀雄の生涯 舟越健之輔著 ポプラ社 2004.2