よしもと せい
1889(明治22)年12月5日~1950(昭和25)年3月14日 兵庫県出身
吉本興業創業者
夫の廃業を機に「笑い」の世界に参画、寄席のチェーン経営・所属芸人への月給制導入など、大衆への「笑い」の効率的・安定的供給システムを確立、近代的娯楽産業の基礎を築き『笑いの王国・吉本興業』を誕生させた稀代の女興行師
- 1889(明治22)年12月5日
兵庫県明石市に米殻商・林豊次郎の三女として生まれる - 1911(明治44)年
21-22歳 大阪上町の荒物商・吉本吉兵衛(後に泰三と改称)と結婚、林から吉本に改姓 - 1912(大正1)年4月1日
22歳 芸事の世界にのめり込み店を廃業に追い込んだ夫・吉本吉兵衛(後に泰三と改称)に対し、「あんさん、そないに寄席や芸事が好きでっか、世の中で一番好きなこと、したいことはそれでっか。それやったら、いっそのこと、芸人さんと一緒に居て商売になる寄席をしはったらどうだす」ともちかけ、天満八軒の一つ 第二文芸館(後に天満花月) の経営権を買収、芸人の世界で低俗視された物マネや曲芸などの「色モノ」を中心とした寄席経営を始める - 1913(大正2)年1月
23歳 吉本興業部(後に吉本興業) 創業 - 1914(大正3)年
24-25歳 大衆に薄利で笑いを提供するため寄席を次々に買収、寄席のチェーン経営に乗り出す - 1915(大正4)年
25-26歳 「花と咲くか、月と陰るか、全てを賭けて」の思いを込め、傘下の寄席を『花月』と改称、花月派を結成 - 1922(大正11)年
32-33歳 大阪寄席の三勢力を買収し、関西の寄席・演芸界を制覇、所属芸人に月給制を導入し、笑いの安定供給を実現 - 1924(大正13)年
34-35歳 夫・吉本泰三 逝去、弟の 林正之助(後に吉本興業社長、会長)・林弘高(東京吉本社長)をスカウトし、共に 吉本興業 を盛り立てる - 1932(昭和7)年3月1日
42歳 吉本興業部、吉本興業合名会社に改組、社長就任 - 1933(昭和8)年
43-44歳 横山エンタツ・花菱アチャコの漫才『早慶戦』が大ヒット、吉本興業の飛躍へと繋がる - 1938(昭和13)年
48-49歳 初代『通天閣』を買収 - 1948(昭和23)年1月7日
58歳 吉本興業合名会社、吉本興業株式会社に改組、会長就任、社長後任を 林正之助 に - 1950(昭和25)年3月14日
60歳 逝去
参考文献
20世紀 日本の経済人(2) 日本経済新聞社 2001.2
花のれん 山崎豊子著 新潮文庫 1961.8