いうえ としお
1902(明治35)年12月28日~1969(昭和44)年7月16日 兵庫県出身
三洋電機創業者
松下電器産業の創業に関わり、戦後はゼロから三洋電機を創業、戦後の日本に家庭電化ブームを巻き起こす
- 1902(明治35)年12月28日
兵庫県津名郡浦村(現・淡路市)に回船業・井植清太郎、こまつの長男として生まれる - 1916(大正5)年2月
13歳 叔父の船の見習い船員に、「板子一枚底地獄」という厳しい生活をおくる - 1916(大正5)年5月
13歳 東京倉庫(後に三菱倉庫)の爆発事故に遭遇するが九死に一生を得る、淡路に帰省、船乗りをあきらめる - 1917(大正6年)年6月
14歳 松下幸之助(松下電器産業・PHP研究所創業者、松下政経塾創立) に嫁いでいた姉・うめのの誘いにより大阪へ、創業間もない 松下電気器具製作所(後に松下電器産業、パナソニック) 入社、職工に - 1920(大正9)年
17-18歳 松下電気器具製作所(後に松下電器産業、パナソニック) の東京での販路拡大のため、駐在員として単身上京 - 1923(大正12)年9月1日
20歳 関東大震災、”松下は火事場泥棒のような商売はしない”の姿勢で東京にて大阪商人の信用を得ることに - 1923(大正12)年12月
20-21歳 徴兵により兵役生活 (~約2年間) - 1935(昭和10)年12月
32-33歳 松下電器産業(後にパナソニック) 専務就任 - 1943(昭和18)年4月
40-41歳 海軍の要請で設立された 松下造船 社長就任、木造船建造の指揮をとる - 1946(昭和21)年12月
43歳 GHQからの公職追放令、松下幸之助(松下電器産業・PHP研究所創業者、松下政経塾創立) を庇うかたちで 松下電器産業 退社 - 1947(昭和22)年
44-45歳 三洋電機製作所(後に三洋電機) 創業 - 1950(昭和25)年4月8日
47歳 三洋電機 設立、社長就任 - 1959(昭和34)
56-57歳 東京三洋電機(後に三洋電機に合併) 設立 - 1960(昭和35)11月
57-58歳 三洋電機貿易(後に三洋セールスアンドマーケティング、三洋電機に合併) 設立 - 1962(昭和37)
59-60歳 井植学校 設立、関西財界人を育てる - 1968(昭和43)年1月
65歳 三洋電機 会長就任、社長後任を弟・井植祐郎に - 1969(昭和44)年7月16日
66歳 逝去、正四位勲二等瑞宝章に叙される
参考文献
私の履歴書 - 昭和の経営者群像(9) 日本経済新聞社 1992
無から始めた男たち - 20世紀日本の経済人セレクション 日本経済新聞社 2003.5