くはら ふさのすけ
1869(明治2)年6月4日(旧暦)~1965(昭和40)年1月29日 山口県出身 慶應義塾大学卒業
久原財閥(後に日産コンツェルンへ発展)の祖、久原鉱業(後に日産自動車、ジャパンエナジー)創業者、日立製作所設立、政治家
鉱山事業で大成功を収め、日本鉱業(後にジャパンエナジー)・日立製作所・日産自動車など日産コンツェルンの母体となる久原財閥を形成、事業引退後は政界へ転身、立憲政友会正統派総裁となる
- 1869(明治2)年6月4日(旧暦)
長州藩萩(現・山口県萩市)に久原庄三郎の四男として生まれる - 1889(明治22)年
19-20歳 慶應義塾大学 卒業 - 1890(明治23)年
20-21歳 森村組(後に森村商事) 入社、神戸支店勤務 - 1891(明治24)年
21-22歳 藤田組(後にDOWAホールディングス)創業者の一人である叔父・藤田伝三郎の要請、井上馨の薦めで 森村組(後に森村商事) 退社、藤田組(後にDOWAホールディングス) 入社、秋田県・小坂銅山に赴任 - 1897(明治30)年
27-28歳 銀生産で経営不振に陥った小坂銅山の閉山処理を任されるも、方針に従わず、銅生産による再建を検討、井上馨の後ろだてもあり窮地を脱する - 1900(明治33)年
29-30歳 藤田組(後にDOWAホールディングス) 小坂銅山所長就任 - 1905(明治36)年3月
35歳 父・久原庄三郎の隠居に伴い家督相続、藤田組(後にDOWAホールディングス) 取締役就任 - 1905(明治36)年12月10日
36歳 藤田組(後にDOWAホールディングス) 退社 - 1905(明治38)年12月26日
36歳 茨城県・赤沢銅山 買収、日立鉱山 と改称、久原鉱業所(後に日産自動車、ジャパンエナジー) 創業 - 1906(明治39)年10月
37歳 久原鉱業所日立鉱山 の工作課長として、小平浪平(日立製作所創業者) を招聘 - 1910(明治43)年
40-41歳 小平浪平(日立製作所創業者) を筆頭に、久原鉱業所日立鉱山 の鉱山機械修理工場(後に久原鉱業所日立製作所、日立製作所) 創業 - 1912(明治43)年9月18日
43歳 久原鉱業(後に日産自動車、ジャパンエナジー) 設立、社長就任、第一次世界大戦と共に事業拡大、産銅事業で業界首位となり、石油・ゴムなどの資源開発、電機、造船、海運、製鉄、貿易など多角展開、久原財閥(後に日産自動車、ジャパンエナジー) を形成 - 1926(昭和1)年
56-57歳 世界経済恐慌の煽りを受け、久原鉱業(後に日産自動車、ジャパンエナジー) 経営破綻、社長退任、社長後任を義兄の 鮎川義介(日産コンツェルンの祖、日産自動車、新日鉱ホールディングス:日鉱金属・ジャパンエナジー創業者) に、政界へ転身 - 1928(昭和3)年
58-59歳 立憲政友会公認で衆議院議員総選挙に出馬、初当選 - 1928(昭和3)年
58-59歳 田中義一内閣の逓信大臣となる - 1936(昭和11)年
66-67歳 2・26事件反乱容疑で約8ヶ月間刑務所入り - 1939(昭和14)年
69-70歳 立憲政友会 分裂、立憲政友会正統派(久原派) 立ち上げ、総裁就任 - 1946(昭和21)年
76-77歳 公職追放 (~1951年) - 1952(昭和27)年
82-83歳 衆議院議員総選挙に出馬、当選し政界復帰 - 1953(昭和28)年
83-84歳 衆議院議員総選挙に出馬、落選し政界引退 - 1965(昭和40)年1月29日
95歳 逝去
参考文献
無から始めた男たち - 20世紀日本の経済人セレクション 日本経済新聞社 2003.5